
小堀遠州
小堀遠州(1579-1647)は、江戸初期の茶人、遠州流の祖。また江戸幕府の奉行として建築、土木、造園を手がけた。名は政一、通称は作介、号は孤篷庵、道号は大有宗甫。近江国小堀村(現在の長浜市)の出身。はじめ豊臣秀吉に、のち徳川家康に従い、父である正次の死後は家を継いで近江小室1万石を領し遠江守に任ぜられた。
作事奉行を多く歴任し、建築、造園の才を発揮、二条城、仙洞御所などを手がけた。早くより古田織部に茶の湯を学び、寛永13年(1636)には、3代将軍である徳川家光に献茶し、その茶名が天下に知られた。
茶道具においても名物の位付けである中興名物を定めるとともに、遠州七窯といわれる国焼の振興に寄与、この他にも書画、和歌、生花などにもすぐれた才能を示した。
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小堀遠州
「消息」

小堀遠州
「永井尚政宛消息」

小堀遠州
「柳生宗矩宛消息」

小堀遠州
「消息(堀田正盛宛)」

小堀遠州
「消息」

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「消息」

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「経師道意宛消息」

小堀遠州
「消息(五月四日付)」

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「中村六大夫宛消息」

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「冷泉為頼宛消息(十月二十五日付)」

小堀遠州
「烏丸光広宛(歌入り消息)」

小堀遠州
「道閑宛消息」
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