「消息」
小堀遠州
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- 作家名
- 小堀遠州
- 作品名
- 「消息」
- 寸 法
- 寸法:33.3×50.4 cm
総丈:113.5×61.1 cm - 手 法
- 紙・墨
- 備 考
- ・式部殿…八条宮智仁親王(1579-1629)。八条宮(桂宮)初代当主。正親町天皇の孫で、誠仁親王の第六王子。母は勧修寺晴右の女の藤原晴子。同母兄に後陽成天皇・興意法親王らがいる。
・筑前様…黒田長政(1568-1623)。黒田孝高の嫡男。福岡藩を立藩し初代藩主となった。
・三条道二…不明。遠州の使用人カ。
・ふくへ …ひょうたんの形をした香合もしくは炭斗(すみとり)カ。
・ちくあん…竹庵。宇治茶師の御物御茶師の一家で、朝廷および将軍御用の茶を調進する役割を担っていた。御物御壺(ごもつおつぼ)を預かっていた。 - 解 説
- 小堀遠州(1579-1647)は、江戸初期の茶人、遠州流の祖。また江戸幕府の奉行として建築、土木、造園を手がけた。名は政一、通称は作介、号は孤篷庵、道号は大有宗甫。近江国小堀村(現在の長浜市)の出身。はじめ豊臣秀吉に、のち徳川家康に従い、父である正次の死後は家を継いで近江小室1万石を領し遠江守に任ぜられた。
作事奉行を多く歴任し、建築、造園の才を発揮、二条城、仙洞御所などを手がけた。早くより古田織部に茶の湯を学び、寛永13年(1636)には、3代将軍である徳川家光に献茶し、その茶名が天下に知られた。
茶道具においても名物の位付けである中興名物を定めるとともに、遠州七窯といわれる国焼の振興に寄与、この他にも書画、和歌、生花などにもすぐれた才能を示した。