「冷泉為頼宛消息(十月二十五日付)」

小堀遠州

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作家名
小堀遠州
作品名
「冷泉為頼宛消息(十月二十五日付)」
寸 法
本紙:29.6×42.6cm
総丈:118.9×54.0cm
手 法
紙本・墨
備 考
・冷泉為頼(1592-1627):江戸初期の公卿。権大納言冷泉為満の子。
 36歳で従三位・非参議に叙任したが、その年のうちに若くして没した。 また、父である為満とともに遠州に和歌及び、書道を教えた。
・藤四郎:加藤景正(生没年不詳)のこと。瀬戸焼の開祖とされる陶工。正式名を加藤四郎左衛門景正といい、略して藤四郎と称される。伝承によれば、彼は道元禅師に従って中国に渡り、1227年(安貞1)に帰国。瀬戸に中国の製陶法を伝え、自らも窯をきずいたとされる人物。
・細川玄旨:細川幽斎(1534-1610)のこと。安土桃山時代の武将、歌人。本名藤孝。三淵晴員(はるかず)の子。細川元常の養子。剃髪して玄旨、幽斎と号した。足利義晴、義輝、義昭に仕え、義昭追放後は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた。和歌を三条西実枝に学び、古今伝授をうけ、二条派の正統 として歌壇に重んじられ、近世歌学の祖といわれる。広く芸道に通じた文化人であった。
・柳沢宗淵旧蔵
・宗□鑑識箱
解 説
小堀遠州(1579-1647)は、江戸初期の茶人、遠州流の祖。また江戸幕府の奉行として建築、土木、造園を手がけた。名は政一、通称は作介、号は孤篷庵、道号は大有宗甫。近江国小堀村(現在の長浜市)の出身。はじめ豊臣秀吉に、のち徳川家康に従い、父である正次の死後は家を継いで近江小室1万石を領し遠江守に任ぜられた。
作事奉行を多く歴任し、建築、造園の才を発揮、二条城、仙洞御所などを手がけた。早くより古田織部に茶の湯を学び、寛永13年(1636)には、3代将軍である徳川家光に献茶し、その茶名が天下に知られた。
茶道具においても名物の位付けである中興名物を定めるとともに、遠州七窯といわれる国焼の振興に寄与、この他にも書画、和歌、生花などにもすぐれた才能を示した。

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