「柳生宗矩宛消息」

小堀遠州

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作家名
小堀遠州
作品名
「柳生宗矩宛消息」
寸 法
本紙:29.5×50.2cm
総丈:118.1×61.8cm
手 法
紙・墨
制作年
八月十二日
備 考
・画面左に花押
解 説
【翻字】
御前仕合無残所、四五日已前ニ
御暇被下候、早〻以参御暇請可
申上處ニ手前用所可相叶候而
罷立刻ニと存候而延引申候、
御宿ニ御座候刻、以参上御暇請
申、又御用之事も申置御用之事をも
承可罷上候、貴さまも当年中ニ
御暇候て御上之様ニとねかひ申候、
随而此ちや入貴さま御ちや屋ニ
おかせられ御ちや御上可被成候、
おかしく候、恐惶謹言
   八月十二日     (花押)
           小堀遠江守
(結封墨引) 柳但州様 政一 御中


【現代語訳】
御前での事は順調に運び、
四五日以前においとまが出ました。
早く参上してご挨拶申上げるべきところ、
私は用事を済ませたく、出発前にご挨拶
をするつもりで、延び延びになりました。
御屋敷においでの時、ご挨拶に伺います。
貴方も今年中にはおいとまが出て、
お上りなさる様に願っております。
さて、この茶入は、
貴方の御茶屋に置いて下さり、
お使い下さい。
おもむきのある品です。

小堀遠州(1579-1647)は、江戸初期の茶人、遠州流の祖。また江戸幕府の奉行として建築、土木、造園を手がけた。名は政一、通称は作介、号は孤篷庵、道号は大有宗甫。近江国小堀村(現在の長浜市)の出身。はじめ豊臣秀吉に、のち徳川家康に従い、父である正次の死後は家を継いで近江小室1万石を領し遠江守に任ぜられた。
作事奉行を多く歴任し、建築、造園の才を発揮、二条城、仙洞御所などを手がけた。早くより古田織部に茶の湯を学び、寛永13年(1636)には、3代将軍である徳川家光に献茶し、その茶名が天下に知られた。
茶道具においても名物の位付けである中興名物を定めるとともに、遠州七窯といわれる国焼の振興に寄与、この他にも書画、和歌、生花などにもすぐれた才能を示した。

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