「消息(五月四日付)」
小堀遠州
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- 作家名
- 小堀遠州
- 作品名
- 「消息(五月四日付)」
- 寸 法
- 本紙:27.8×42.0cm
総丈:107.5×50.4cm - 手 法
- 紙本・墨
- 備 考
- 【翻字】
此間者久〃何方にても
不得御意御物遠に奉存候
弥御無事ニ御座候哉明日者
貴様も御登 城可被成と存候
拙者□□《(せが)》れも登 城仕候間
御 目見え之時分御引廻し
貴様御一〓ニ御 目見え仕候様に被成〓被下候
心事期事〓恐惶
謹言
五月四日 □(花押) - 解 説
- 小堀遠州(1579-1647)は、江戸初期の茶人、遠州流の祖。また江戸幕府の奉行として建築、土木、造園を手がけた。名は政一、通称は作介、号は孤篷庵、道号は大有宗甫。近江国小堀村(現在の長浜市)の出身。はじめ豊臣秀吉に、のち徳川家康に従い、父である正次の死後は家を継いで近江小室1万石を領し遠江守に任ぜられた。
作事奉行を多く歴任し、建築、造園の才を発揮、二条城、仙洞御所などを手がけた。早くより古田織部に茶の湯を学び、寛永13年(1636)には、3代将軍である徳川家光に献茶し、その茶名が天下に知られた。
茶道具においても名物の位付けである中興名物を定めるとともに、遠州七窯といわれる国焼の振興に寄与、この他にも書画、和歌、生花などにもすぐれた才能を示した。