「橋脚図」
画:伊藤若冲 賛:無染浄善 若冲の解説ページ☜
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- 作家名
- 画:伊藤若冲 賛:無染浄善
- 作品名
- 「橋脚図」
- 寸 法
- 本紙:106.9×29.8cm
総丈:185.2×32.3cm - 手 法
- 紙・墨
- 備 考
- ・画面下に印「藤汝鈞印」・「若冲居士」
・画面右に「丹崖道人」・関防印「如々室」・印「浄善」「東西南北陣人」
・賛「驢馬何處去趙州東壁来」(『碧巌録』第五十二則「趙州石橋略彴」より)
※略彴(りゃくしゃく)とは、独木橋(まるきばし)のこと。
・類似作品『若冲アナザーワールド』
(於、MIHO MUSEUM/平成二十一年)
掲載作品No.40
・類似作品『若冲画賛』
(門脇むつみ・芳澤勝弘編、
朝日新聞出版刊/2024年)掲載作品No.45 - 解 説
- 本作は橋脚のみを描いている珍しい作品だが、『若冲アナザーワールド』No.40 (p.57)にも同様の作品がある。賛者も同じく黄檗宗の僧、無善浄善である。
伊藤若冲(1716~1800)は、江戸時代中期の京都で活躍した画家。
若冲は、それまでの日本の絵画にない奇抜なモチーフ、独特な画面構成により、
奇想の画家として、また江戸美術を代表する画家の一人としてよく知られています。
名は汝釣、字は景和。斗米庵、米斗翁、心遠館、錦街居士などと号しました。
京都錦小路の青物問屋「枡屋」の長男として生まれ、数え年で23才の時に父親の死去に伴い家業を継ぎます。その後、40才の時に弟、白歳(はくさい)に家督を譲り、絵画制作に没頭。
江戸中期の京都においてその個性的な画風は異彩を放ち、大きな評判を呼びました。天明八(1788)年の京都大火で被災し、一時大坂に滞在したものの、晩年には京都市伏見区の深草にある黄檗寺院、石峰寺の門前に隠棲し、晩年を過ごしました。