「遠羅天釜」
白隠慧鶴 白隠の解説ページ☜
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- 作家名
- 白隠慧鶴
- 作品名
- 「遠羅天釜」
- 寸 法
- 本紙:97.9×27.0 cm
総丈:186.6×29.6 cm - 手 法
- 紙・墨
- 備 考
- ・画面中央に関防印「臨濟正宗」
・画面右に印「白隠」・「惠隺之印」
【賛】「鑵子をば/自在天まで/
釣りあげて/雲のうえにも/
茶をや煮る/らん」
・『白隠禪画墨蹟』(芳澤勝弘監修・二玄社刊)類似作品No.621 - 解 説
- 白隠慧鶴(1685~1768)は、静岡県(駿河国)の生まれ。
白隠はその功績から「駿河には、すぎたるものがふたつあり、冨士のお山に原の白隠」と称される江戸中期の臨済宗の僧です。諱は慧鶴、号は鵠林、闡提窟。諡は神機独妙禅師、正宗国師。15歳の時に駿河の松蔭寺で出家。その後、諸国を行脚した後、32歳で松蔭寺に戻り住職となり、42歳で悟りを開きました。
白隠の会下には多くの修行僧が集まり、東嶺円慈、遂翁元盧、峨山慈棹、葦津慧隆、斯経慧梁、提洲禅恕らの多くの門下を世にだしました。また白隠は、それまでの公案郡を整理し、体系化したことにより、日本臨済禅中興の祖と称されています。