長沢芦雪(長澤蘆雪)(ナガサワロセツ) 宝暦4年/1754年 - 寛政11年/1799年
長沢芦雪(長沢蘆雪・長澤芦雪・長澤蘆雪)
長沢 芦雪(宝暦4年/1754年 - 寛政11年/1799年)は、丹波国篠山藩藩士・上杉彦右衛門の子として育つ。
芦雪25歳の時、応挙の家で『東山名所図屏風』を制作。
既に、応挙門下にあったことがわかる。
1786年から1787年(天明6年から7年)、南紀に滞在した折には多くの障壁画を描き、当地の寺には、現在も多くの障壁画が残っている。
1799年(寛政11年)、大阪で客死。
自由奔放で、傲慢な性格であったと言われ、応挙に破門された、毒殺された、など様々な逸話があるが、芦雪の足跡を残す資料は少なく、謎の多い人物である。
奇想の絵師に数えられる。