「嶮崖對坐佛」
白隠慧鶴 白隠の解説ページ☜
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- 作家名
- 白隠慧鶴
- 作品名
- 「嶮崖對坐佛」
- 寸 法
- 本紙:65.8×51.8㎝
総丈:178.8×59.6㎝ - 手 法
- 紙本・墨
- 備 考
- ・画面左下に印「白隠」「慧鶴」・画面右上に関防印「顧鑑咦」
・賛「対坐佛盤食/鞭捶土地神/因甚而快活/脳裏絶繊塵」
・宗鶴(松蔭寺)箱
・箱裏に「昭和三十六年九月十五日現松蔭法孫宗鶴有識」 - 解 説
- 白隠慧鶴(1685-1768)は、静岡県(駿河国)の生まれ。
白隠はその功績から「駿河には、すぎたるものがふたつあり、冨士のお山に原の白隠」と称される江戸中期の臨済宗の僧です。
諱は慧鶴、号は鵠林、闡提窟。諡は神機独妙禅師、正宗国師。15歳の時に駿河の松蔭寺で出家。その後、諸国を行脚した後、32歳で松蔭寺に戻り住職となり、42歳で悟りを開きました。白隠の会下には多くの修行僧が集まり、東嶺円慈、遂翁元盧、峨山慈棹、葦津慧隆、斯経慧梁、提洲禅恕らの多くの門下を世にだしました。
また白隠は、それまでの公案郡をを整理し、体系化したことにより、日本臨済禅中興の祖と称されています。