
「大燈國師遺誡」
白隠慧鶴 白隠の解説ページ☜
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- 作家名
- 白隠慧鶴
- 作品名
- 「大燈國師遺誡」
- 寸 法
- 本紙:94.2×42.1 cm
総丈:183.5×56.8 cm - 手 法
- 紙・墨
- 制作年
- 明和四年(1767)
- 備 考
- ・画面右上に関防印「顧鑑咦」
・画面右上に印「白㥯」・「慧鶴」
・淡川康一箱
・二重箱
・『白隠禅画墨蹟 墨蹟編』 (芳澤勝弘監修・解説、二玄社、2009) 掲載作品(p.165 / No.208) - 解 説
- 白隠慧鶴(1685~1768)は、静岡県(駿河国)の生まれ。
白隠はその功績から「駿河には、すぎたるものがふたつあり、冨士のお山に原の白隠」と称される江戸中期の臨済宗の僧です。諱は慧鶴、号は鵠林、闡提窟。諡は神機独妙禅師、正宗国師。15歳の時に駿河の松蔭寺で出家。その後、諸国を行脚した後、32歳で松蔭寺に戻り住職となり、42歳で悟りを開きました。
白隠の会下には多くの修行僧が集まり、東嶺円慈、遂翁元盧、峨山慈棹、葦津慧隆、斯経慧梁、提洲禅恕らの多くの門下を世にだしました。また白隠は、それまでの公案郡を整理し、体系化したことにより、日本臨済禅中興の祖と称されています。