「 (左)秋葉山大権現 (中)楊柳観音 (右)金毘羅山大権現」
白隠慧鶴 三幅対 白隠の解説ページ☜
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- 作家名
- 白隠慧鶴 三幅対
- 作品名
- 「 (左)秋葉山大権現 (中)楊柳観音 (右)金毘羅山大権現」
- 寸 法
- (左) 本紙:128.2×26.2 cm
総丈:188.5×36.6 cm
(中) 本紙:120.5×26.2 cm
総丈:189.6×36.7 cm
(右) 本紙:128.2×26.2 cm
総丈:188.5×36.6 cm - 手 法
- 紙・墨
- 備 考
- (左)・画面右上に関防印「顧鑑咦」
・画面左下に印「白隠」・「慧鶴」
(中)・画面左上に関防印「龍悳先天」
・画面右上に印「白㥯」・「慧鶴」
【賛】「慈眼視/衆生/福壽海/
無量」
(右)・画面右上に関防印「顧鑑咦」
・画面左下に「慧鶴」・「白隠」 - 解 説
- 白隠慧鶴(1685~1768)は、静岡県(駿河国)の生まれ。
白隠はその功績から「駿河には、すぎたるものがふたつあり、冨士のお山に原の白隠」と称される江戸中期の臨済宗の僧です。諱は慧鶴、号は鵠林、闡提窟。諡は神機独妙禅師、正宗国師。15歳の時に駿河の松蔭寺で出家。その後、諸国を行脚した後、32歳で松蔭寺に戻り住職となり、42歳で悟りを開きました。
白隠の会下には多くの修行僧が集まり、東嶺円慈、遂翁元盧、峨山慈棹、葦津慧隆、斯経慧梁、提洲禅恕らの多くの門下を世にだしました。また白隠は、それまでの公案郡を整理し、体系化したことにより、日本臨済禅中興の祖と称されています。