「半身達磨・いつ見ても」
白隠慧鶴
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- 作家名
- 白隠慧鶴
- 作品名
- 「半身達磨・いつ見ても」
- 寸 法
- 本紙:88.0×27.4 cm
総丈:187.1×41.4 cm - 手 法
- 紙・墨
- 備 考
- ・画面左上に関防印「顧鑑咦」
・画面右に印「白㥯」「慧鶴」
【賛】「いつ/見/ても」
・巻留に「白隠和尚達磨」「碎巖鑑」・高森碎巖印
―高森碎巖・・・1825-1914 上総出身の日本画家。特に山水花鳥を得意とした。江戸で服部蘭台に儒学を、萩原秋巌に書を学び、その後南画研究のため山本琴谷に師事。 - 解 説
- 白隠慧鶴(1685~1768)は、静岡県(駿河国)の生まれ。
白隠はその功績から「駿河には、すぎたるものがふたつあり、冨士のお山に原の白隠」と称される江戸中期の臨済宗の僧です。諱は慧鶴、号は鵠林、闡提窟。諡は神機独妙禅師、正宗国師。15歳の時に駿河の松蔭寺で出家。その後、諸国を行脚した後、32歳で松蔭寺に戻り住職となり、42歳で悟りを開きました。
白隠の会下には多くの修行僧が集まり、東嶺円慈、遂翁元盧、峨山慈棹、葦津慧隆、斯経慧梁、提洲禅恕らの多くの門下を世にだしました。また白隠は、それまでの公案郡を整理し、体系化したことにより、日本臨済禅中興の祖と称されています。