浦上玉堂(1740-1820)は、江戸時代中期の文人画家。姓は紀、諱は弼、字は君輔。初め穆斎と号し、のち玉堂と改る。通称は兵右衛門。岡山池田藩の支藩である鴨方藩士の家に生まれる。7歳で父を亡くし、家督を継ぎ、藩学をへて、藩主である池田政香の御側詰となり、大目付にまで進むが、のち脱藩し、各地を遊歴、漂泊の人となる。玉堂は仕官の間、江戸在勤となり、たびたび岡山と江戸を往来している。江戸では公務のかたわら琴や詩を学び、谷文晁などと結社して絵を学び、35歳の時に得た明の顧元昭作の七絃琴に因んで玉堂琴士と号し、終生、琴を愛した。水墨の用筆に個性を発揮し、詩情豊かな山水画を描いたことで知られる。

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「雲煙重嶂図」

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「浅水橋図」

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「山水図」

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