慈雲飲光

慈雲飲光(1718‐1804)は大坂中之島生まれ。高松藩蔵屋敷、川北又助宅において誕生。上月安範の子。13歳の時に摂津の法楽寺で出家、同寺の住職・忍網貞紀に密教と梵語を学ぶ。
1744年(延享元年)、河内の長栄寺を再興して住職となり、初めて戒律の講義を行なったのを皮切りに、高野山や近畿の各地で修行と講演を続ける。
1758年(宝暦8年)から生駒山中の雙龍庵という草庵に隠居して研究に専念し、梵語研究の大著『梵学津梁』を著す。
大和郡山藩主・柳沢保光の支援を受け、高貴寺の堂舎を整備し、この寺を正法律の本山と定めた。
晩年には、独自の神道説を唱え、その神道は雲伝神道または葛城神道と呼ばれた。
1804年、京都の阿弥陀寺でその生涯を終え、遺体は高貴寺に運ばれ埋葬された。

販売作品WORKS FOR SALE

慈雲飲光

「拈花萬国春」

売却済

慈雲飲光

「知足者常富」

売却済

慈雲飲光

「面壁達磨」

売却済

慈雲飲光

「信道元功徳母」

売却済

慈雲飲光

「又迎千年春」

売却済

慈雲飲光

「臨済云孤明歴々地」

売却済

慈雲飲光

「円相自画賛」

売却済

慈雲飲光

「頭之上明著上妙」

売却済

慈雲飲光

「置字「阿」」

売却済

慈雲飲光

「逍州云庭前柏樹子」

売却済

慈雲飲光

「大道通長安」

売却済

慈雲飲光

「何事もなきぞ」

売却済

慈雲飲光

「不見一法即如来」

売却済

お問い合わせINQUIRY