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「頭々上明著々上妙」

慈雲飲光

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作家名
慈雲飲光
作品名
「頭々上明著々上妙」
寸 法
本紙:126.8×51.3㎝
総丈:199.2×66.5㎝
手 法
紙本・墨
備 考
■画面右上関防印「袈裟荘嚴閻浮提」
■画面左下「釋飲光印」「慈雲」
■『無門関』第十六、鐘声七条とみられ、句意は、一挙一動がすべて道にたがうことなく明妙である、の意。
解 説
慈雲飲光(1718‐1804)は大坂中之島生まれ。高松藩蔵屋敷で上月安範の子で、13歳の時に摂津の法楽寺で出家、同寺の住職・忍網貞紀に密教と梵語を学ぶ。
1744年(延享元年)、河内の長栄寺を再興して住職となり、初めて戒律の講義を行なったのを皮切りに、高野山や近畿の各地で修行と講演を続ける。
1758年(宝暦8年)から生駒山中の雙龍庵という草庵に隠居して研究に専念し、梵語研究の大著『梵学津梁』を著す。
大和郡山藩主・柳沢保光の支援を受け、高貴寺の堂舎を整備し、この寺を正法律の本山と定めた。
晩年には、独自の神道説を唱え、その神道は雲伝神道または葛城神道と呼ばれた。
1804年、京都の阿弥陀寺でその生涯を終え、遺体は高貴寺に運ばれ埋葬された。
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