「面壁達磨」
慈雲飲光
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- 作家名
- 慈雲飲光
- 作品名
- 「面壁達磨」
- 寸 法
- 本紙:160.6×41.5 cm
総丈:188.9×43.9 cm - 手 法
- 紙・墨
- 備 考
- ・画面右上に関防印「無事如野象」
・画面左下に印「慈雲氏」・「飲光之印」
・『慈雲尊者墨蹟集成 図版篇 上』(思文閣出版、1989年)に類似作品(p.53/No.45)
【賛】「無巧徳」
【解説】見返りや良い報いを期待して行う善行には、本当の意味での功徳(価値)はないとする禅の言葉。 - 解 説
- 紙の上に落とされた墨の、筆の力強さにまず目を奪われます。
下部に描かれているのは、壁に向かって坐禅を組む達磨大師の背中。わずか数本の太い筆線だけで表現されたそのシルエットは、極限まで無駄が削ぎ落とされ、揺るぎない存在感を放っています。かすれを孕んだ濃墨のラインは、ただ形を模したものではなく、静寂の中でただひたすらに自己と向き合う坐禅の「重み」そのものを物語っているようです。
画の上部の「無功徳(むくどく)」の三字。見え返りや報いを求めず、ただあるがままに尽くすこと――武帝との問答で知られる禅の真髄が、一切の飾りのない豪快な筆致で刻み込まれています。滲みや擦れを恐れず一気に走らせた文字からは、慈雲尊者ならではの剛直で深い精神性が滲み出ています。
慈雲飲光(1718‐1804)は大坂中之島生まれ。高松藩蔵屋敷、川北又助宅において誕生。上月安範の子。13歳の時に摂津の法楽寺で出家、同寺の住職・忍網貞紀に密教と梵語を学ぶ。
1744年(延享元年)、河内の長栄寺を再興して住職となり、初めて戒律の講義を行なったのを皮切りに、高野山や近畿の各地で修行と講演を続ける。
1758年(宝暦8年)から生駒山中の雙龍庵という草庵に隠居して研究に専念し、梵語研究の大著『梵学津梁』を著す。
大和郡山藩主・柳沢保光の支援を受け、高貴寺の堂舎を整備し、この寺を正法律の本山と定めた。
晩年には、独自の神道説を唱え、その神道は雲伝神道または葛城神道と呼ばれた。
1804年、京都の阿弥陀寺でその生涯を終え、遺体は高貴寺に運ばれ埋葬された。
