「孤明歴々地」
慈雲飲光
画像をクリックすると拡大してご覧いただけます。
- 作家名
- 慈雲飲光
- 作品名
- 「孤明歴々地」
- 寸 法
- 本紙:98.5×37.5 cm
総丈:190.0×38.3 cm - 手 法
- 紙・墨
- 備 考
- ・画面右上に関防印「寄思於靈鷲巓」
・画面左下に印「黒盋沙門」・「慈雲」
・『慈雲尊者墨蹟集成 図版篇 上』 (思文閣出版、1989年)類似作品(p.140 / No.172)
・「孤明歴々地」……『臨済録』に由来する禅語で、他者に依存せず、清浄に輝く仏の光(仏性)をはっきりと自覚している状態、の意。 - 解 説
- 慈雲飲光(1718‐1804)は大坂中之島生まれ。高松藩蔵屋敷、川北又助宅において誕生。上月安範の子。13歳の時に摂津の法楽寺で出家、同寺の住職・忍網貞紀に密教と梵語を学ぶ。
1744年(延享元年)、河内の長栄寺を再興して住職となり、初めて戒律の講義を行なったのを皮切りに、高野山や近畿の各地で修行と講演を続ける。
1758年(宝暦8年)から生駒山中の雙龍庵という草庵に隠居して研究に専念し、梵語研究の大著『梵学津梁』を著す。
大和郡山藩主・柳沢保光の支援を受け、高貴寺の堂舎を整備し、この寺を正法律の本山と定めた。
晩年には、独自の神道説を唱え、その神道は雲伝神道または葛城神道と呼ばれた。
1804年、京都の阿弥陀寺でその生涯を終え、遺体は高貴寺に運ばれ埋葬された。
