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「四君子之図」

山本梅逸

  • 「四君子之図」
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作家名
山本梅逸
作品名
「四君子之図」
寸 法
本紙:109.1×34.8㎝
総丈:183.0×40.3㎝
手 法
紙本・墨
制作年
1833年
備 考
・画面左上「癸巳夏五擬王時鳴筆意/梅逸々人山本亮」、印「亮印」「明卿」
解 説
画面手前の土坡に太湖石を配し、その傍らから竹と梅、蘭が伸びる、山本梅逸の手による作品です。
画面に配される菊、梅、竹は、蘭と共に四君子と称される画題の図様で、気品の高いことを君子にみたてた植物として、水墨画の主要な題材として古来より盛んに描かれました。また本作は、画面に附された款記から、本作が天保3年(1825)に制作されたことが確認出来ます。

山本梅逸(1783-1856)は、江戸時代後期の文人画家。尾張の彫刻師の子として生まれる。名は亮、諱は親亮、字は明卿、通称を卯年吉。画号は春園、竹厳、梅佚のちに梅逸とした。別号に梅華道人、玉禅、天道外史、葵園、友竹艸居、白梅居など。画は、はじめ山田宮常に学んだとされるが詳細は不明。のち山本蘭亭に学び、張月樵に師事したといわれる。その後、豪商で古画の収集家であった神谷天遊に庇護され、中林竹洞らと古画を模写、研究した。22歳で竹洞とともに京都へ出るが、やがて諸国を巡り名古屋へと戻り、1854(安政元)年尾張藩の御用絵師格に任ぜられて士分に取り立てられた。
山水、花鳥ともに優れた技巧を示し、特に華麗な彩色の花鳥画を得意とした。竹洞とともに名古屋を中心とする尾張南画の代表的存在である。
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