「消息」
江月宗玩
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- 作家名
- 江月宗玩
- 作品名
- 「消息」
- 寸 法
- 本紙:29.0×45.7cm
総丈:112.5×56.2cm - 手 法
- 紙・墨
- 備 考
- ・画面左下サイン「宗玩(花押)」
【翻字】
雨中心静在之候可御心易候
芳書過分〻〻御普請
御手前被御普請御仕廻両三ニ
御手前分相済二三日中ニ
□□是又御仕合能□大慶ニ候
役人衆御国へ可被成御
下之由今度ハ別而之
御手柄大慶不過之候
於此地喜申事ニ候然者
内〻被仰越候儀出来候
乍□今一度面上ニ
談合候而書付可申と存候て
延引如何存候面談之
上ニ相調申度候一両日中
可得御意候 恐惶不備
端午前二 宗玩(花押)
【現代語訳】
お手紙、過分です。
御普請、貴方の分がお済みで、
役人衆がお国に帰られたとのこと、
今度はとりわけお手柄(よい仕事をされた)でして、
大慶の至りです。
私達も喜んでおります。
さて、内々仰っていた儀は出来まして、
今一度、お目にかかり、
書きつけようと存じましたのに、
のびのびになり、すみません。
お目にかかりまして、書きたいと思います。
一両日中にお目にかかります。五月二日
雨ですので、
心静かに暮らしておりますからご安心ください。
貴方は御普請がおしまいとなり、
二、三日で出られるとのこと、
たいへん喜ばしい事です。
- 解 説
- 江月宗玩(1574-1643)は堺の豪商、天王寺屋津田宗及(そうぎゅう)の子。別号は欠伸子。幼少より大徳寺の僧、春屋宗園に師事、厳しい研鑽を積む。慶長11年(1606)、春屋より「江月」号を授与される。慶長15年(1610)に大徳寺156世となり、翌年、春屋の死去に伴い黒田家の菩提寺、龍光院を継ぐ。黒田長政の請により筑前崇福寺の住持もつとめた。江月には、小堀遠州や佐久間将監など有力な帰依者が多くいた。また茶の湯は、織田信長や豊臣秀吉に茶頭として仕えた父、津田宗及から学び、当代一流の文化人として知られた。紫衣事件では沢庵、玉室らとともに幕府に抗議して詰問を受けたが、ひとり許されている。
