江月宗玩
江月宗玩(1574-1643)は堺の豪商、天王寺屋津田宗及(そうぎゅう)の子。別号は欠伸子。幼少より大徳寺の僧、春屋宗園に師事、厳しい研鑽を積む。慶長11年(1606)、春屋より「江月」号を授与される。慶長15年(1610)に大徳寺156世となり、翌年、春屋の死去に伴い黒田家の菩提寺、龍光院を継ぐ。黒田長政の請により筑前崇福寺の住持もつとめた。江月には、小堀遠州や佐久間将監など有力な帰依者が多くいた。また茶の湯は、織田信長や豊臣秀吉に茶頭として仕えた父、津田宗及から学び、当代一流の文化人として知られた。紫衣事件では沢庵、玉室らとともに幕府に抗議して詰問を受けたが、ひとり許されている。