「偈」
江月宗玩
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- 作家名
- 江月宗玩
- 作品名
- 「偈」
- 寸 法
- 本紙:26.0×45.2cm
総丈:107.1×47.1cm - 手 法
- 紙本・墨
- 制作年
- 寛永16年(1639年)12月7日
- 備 考
- ・画面左下に印「折脚鐺」「宗玩」
・立花大亀箱
・【翻字】
之䫘信士欲送予歸
舟、先庚到若松。其
情不浅。卒賦一偈
述謝之萬乙云
送此舟行意已
濃先吾三日
喜遭逢呼
君称李節推
去風水洞風
吹若松
寛永十六己卯年臘八前一日
江月衲呆「印」
【読み】
之䫘信士、予が歸舟を送らんと欲して、庚に先んじて若松に到る。
其の情、浅からず。卒に一偈を賦して謝の萬乙を述ぶと云う
此の舟行を送らんとて、意已に濃やかなり吾に先んずること三日、遭い逢うを喜ぶ
君を呼んで李節推と称し去らん、風小洞風、若松を吹く
寛永十六己卯年臘八前一日
・之䫘信士=未詳。黒田藩のものか。
・先庚=先厥三日の略。『易』巽「先庚三日、後庚三日、吉」。命令を発布する三日前に、通告しておくこと。これに対して、「後庚三日」は、命を発布した三日後にさらにもう一度通告し、しかる後に令を実施すること。転じて、一般的には、ものごとを丁寧になすことをいう。しかし、『欠伸稿』では単に「先だって」の意に使われることが多い。
・李節推=蘇東坡の愛した美少年。
蘇東坡詩に「富陽の新城に往いて、李節推先に行くこと三日、風水洞に留まって待たる」というものがある。李節推は李佖。蘇東坡は、李節推とともに富陽に遊ぶのを約束した。すると李節推が三日先に出掛けて風水洞で待っていた。後から出掛けた蘇東坡が、待っているであろう李節推を想って作った詩である。
詩の底意はいろいろあり、さまざまに解釈されているが、詩中「少年清且婉」とあるように、李節推は美少年であったこともあり、室町禅林では「友道」(=男色)の詩として解釈されるのが普通で、『翰林五鳳集』巻六十一に、この題で数首収められている。その他、「花間繋馬」「鴬辺繋馬」などのテーマでも歌われた。いまここでは「先行三日」をふまえ、気のあった友人が三日前に若松に行って、江月の到着を待っていたということ。
・風水洞=李節推が先に行って待っていた場所。
・寛永十六己卯年臘八前一日=一六三九年。江月六十六歳。この年の十一月十三日、黒田高政が桜田の江戸藩邸で死んだ。享年二十八歳。この年は閏十一月があった。秉炬の語に「新捐館某、仲秋十三辰、擲甲兵於武野黄草下、閏月念六日、擧揚棺槨於冷泉青松中」とあるように、閏十一月二十六日に博多の崇福寺で葬儀を行った。その帰路のことであろう。