「板倉重大宛消息」
本阿弥光悦
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- 作家名
- 本阿弥光悦
- 作品名
- 「板倉重大宛消息」
- 寸 法
- 本紙:25.3×54.7 cm
総丈:108.3×56.6 cm - 手 法
- 紙・墨
- 制作年
- 寛永8年(1631年)閏10月16日
- 備 考
- ・後……閏の意
*板倉重大……元和4年(1618年)~貞享3年(1686年)。京都所司代を務め、光悦が元和初年に家康から鷹峯の地を拝領した際、その間に入って労をとった板倉勝重の四男、板倉重宗・重昌の弟にあたる旗本です。
【翻字】
侍従様御咳気
之由被 仰聞候不存
御見廻不申上昨日
常之御見舞可申ト
存処雨ニテ遠路難
叶故令遠慮候唯今
客御入候隙明次第可
参上其節可得貴意候
尊書并鱈送被下
切〻御情入恐入候
恐惶謹言
後(閏) 徳友斎
十ノ十六日 光悦(花押)
板十三様
貴報 - 解 説
- 本阿弥光悦(1558-1637)は、江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家。京都の人。徳友斎、太虚庵、自得斎などと号した。京都で代々刀剣の磨礪、浄拭、鑑定を本業とする本阿弥家の分家に生まれる。書・陶芸・漆芸などにすぐれ、特に書は、青蓮院流を基本とする肥痩の激しい装飾的書風で、近衛信尹、松花堂昭乗と共に寛永の三筆と称され、光悦流の祖とされた。陶芸、漆芸でも光悦楽焼、光悦蒔絵の創始者として名を馳せた。
また晩年には、徳川家康より洛北にある鷹峯の地を拝領し、一族や多くの工芸家とともに移住し、光悦村を形成した。
