「渓山孤亭図」
浦上玉堂
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- 作家名
- 浦上玉堂
- 作品名
- 「渓山孤亭図」
- 寸 法
- 本紙:66.2×9.4 cm
総丈:135.0×13.7 cm - 手 法
- 紙・墨
- 備 考
- ・画面左下に「玉堂」・印「酔郷」
・石井林響・田中柏陰箱
・岩田可僊箱
・二重箱
【賛】細雨晩晴朧月新/涼風盃裏催浪銀/今宵清話他所客/容膝浮萍湖水人/仲秋和徳能兄高顔 杏齋
【読み】細雨は晩に晴れて月朧して新たに/涼風は盃の裏に浪を催して銀たり/今宵の清話 他所の客/容膝の浮萍 湖水の人/仲秋 徳能兄の高顔に和せり 杏齋 - 解 説
- 浦上玉堂(1740-1820)は、江戸時代中期の文人画家。姓は紀、諱は弼、字は君輔。初め穆斎と号し、のち玉堂と改る。通称は兵右衛門。岡山池田藩の支藩である鴨方藩士の家に生まれる。7歳で父を亡くし、家督を継ぎ、藩学をへて、藩主である池田政香の御側詰となり、大目付にまで進むが、のち脱藩し、各地を遊歴、漂泊の人となる。玉堂は仕官の間、江戸在勤となり、たびたび岡山と江戸を往来している。江戸では公務のかたわら琴や詩を学び、谷文晁などと結社して絵を学び、35歳の時に得た明の顧元昭作の七絃琴に因んで玉堂琴士と号し、終生、琴を愛した。水墨の用筆に個性を発揮し、詩情豊かな山水画を描いたことで知られる。