「置字「孝」」
慈雲飲光
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- 作家名
- 慈雲飲光
- 作品名
- 「置字「孝」」
- 寸 法
- 本紙:54.3×29.0㎝
総丈:133.5×39.2㎝ - 手 法
- 紙本・墨
- 備 考
- ・画面右上に関防印「如蓮華不著水」・ 画面左下に印「梵音迦葉此云亀氏」
・釈文「花も見ん月も/ながめむ/百歳をただ父母の/こころとは/して」
・高田井寺諦了箱
・「慈雲尊者墨蹟集成(下)」掲載(図版No.536/思文閣出版)
・「心の書 慈雲尊者」出品作品(図版No.102/大阪市立美術館)
・「慈雲尊者遺芳展」出品作品(図版No.125/東京美術青年会) - 解 説
- 慈雲飲光(1718‐1804)は大坂中之島生まれ。高松藩蔵屋敷、川北又助宅において誕生。上月安範の子。13歳の時に摂津の法楽寺で出家、同寺の住職・忍網貞紀に密教と梵語を学ぶ。
1744年(延享元年)、河内の長栄寺を再興して住職となり、初めて戒律の講義を行なったのを皮切りに、高野山や近畿の各地で修行と講演を続ける。
1758年(宝暦8年)から生駒山中の雙龍庵という草庵に隠居して研究に専念し、梵語研究の大著『梵学津梁』を著す。
大和郡山藩主・柳沢保光の支援を受け、高貴寺の堂舎を整備し、この寺を正法律の本山と定めた。
晩年には、独自の神道説を唱え、その神道は雲伝神道または葛城神道と呼ばれた。
1804年、京都の阿弥陀寺でその生涯を終え、遺体は高貴寺に運ばれ埋葬された。