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「残雪 (後鳥羽上皇謌)」

近衛信尋

  • 「残雪 (後鳥羽上皇謌)」
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作家名
近衛信尋
作品名
「残雪 (後鳥羽上皇謌)」
寸 法
本紙:89.7× 31.5㎝
総丈:165.5×39.5㎝
手 法
紙本・墨
備 考
■古筆了信 (古筆十三代了信)極札
(読み)「後鳥羽院:う久(く)ひ寿(す)の なけともいまたふる雪耳(に) 杦(すぎ)の葉しろき あふさか(逢坂)の山」(鶯の 鳴けどもいまだ降る雪に 杉の葉白き 逢坂の山)

※出典:新古今集 春上・後鳥羽院
春まだ浅い逢坂山の情景を、杉の緑と雪の白との対照によって詠んだもの。『古今和歌集』の「梅が枝(え)に来居(きゐ)る鶯春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ」を本歌とする。
解 説
本作は、『古今和歌集』に採集される後鳥羽院の歌である残雪を近衛信尋が揮毫したもの。「後鳥羽院/う久(く)ひ寿(す)の なけともいまたふる雪耳(に) /杦(すぎ)の葉しろき あふさか(逢坂)の山(鶯の 鳴けどもいまだ降る雪に 杉の葉白き 逢坂の山)」とあり、春がまだ浅い逢坂山の情景を、杉の緑と雪の白との対照によって詠んだもの。
『古今和歌集』では、「梅が枝(え)に来居(きゐ)る鶯春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ」を本歌とする。

近衛信尋(1599-1649) は、江戸時代前期の公卿で、後陽成天皇の第4皇子、母は中和門院前子、近衛信尹の養嗣子となった人物。内大臣、左大臣を経て関白に補せられる。のち出家し、沢庵宗彭により応山の号を与えられた。
また書画にすぐれ、書は養父である信尹の三藐院流を伝え、古田織部に茶の湯を学ぶ。当代一流の文化人であり、後水尾天皇を中心とする宮廷文化サロンの中心人物として活躍した。慶安2年(1649)歿、51才。
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