近衛信尋
近衛信尋(1599-1649) は、江戸時代前期の公卿で、後陽成天皇の第4皇子、母は中和門院前子、近衛信尹の養嗣子となった人物。内大臣、左大臣を経て関白に補せられる。のち出家し、沢庵宗彭により応山の号を与えられた。また書画にすぐれ、書は養父である信尹の三藐院流を伝え、古田織部に茶の湯を学ぶ。当代一流の文化人であり、後水尾天皇を中心とする宮廷文化サロンの中心人物として活躍した。
近衛信尋(1599-1649) は、江戸時代前期の公卿で、後陽成天皇の第4皇子、母は中和門院前子、近衛信尹の養嗣子となった人物。内大臣、左大臣を経て関白に補せられる。のち出家し、沢庵宗彭により応山の号を与えられた。また書画にすぐれ、書は養父である信尹の三藐院流を伝え、古田織部に茶の湯を学ぶ。当代一流の文化人であり、後水尾天皇を中心とする宮廷文化サロンの中心人物として活躍した。