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「秋景山水図」

中西耕石

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作家名
中西耕石
作品名
「秋景山水図」
寸 法
本紙:111.3×33.6㎝
総丈:175.0×41.5㎝
手 法
紙本・墨・彩色
制作年
1866年 夏
備 考
■画面左上に関防印「石山断流」
■画面左上「丙寅夏日偶□□于野翁/詩画自恥踈拙/耕石道人寿元本□家舊蔵也」
 印「寿印」、「耕石」
■賛「深水高林自一天/紅塵無路近風煙/雨椽苑屋半生□/況是清渓有釣船」
解 説
本作は、中西耕石の手による秋景山水図で、手前の土坡には奇岩と、その傍らには朱く色づく木々。中景には水辺と一艘の小舟と、そこから釣り糸を垂れる人物。遠景右側には高くそびえる山と、麓の楼閣、その奥にはなだらかな山裾を広げる遠山を描いている。
手前の木々は渇筆で描き、筆痕を残すことで独特な質感示し、一番手前に濃墨で表した樹木を配置し、モチーフを重ねるように配置することで、画面の奥行きと立体感を表現している。
また、本作に附された款記から慶応2年(1866)に制作された作品であることが確認出来ます。

中西耕石(1807-1884)は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本画家。筑前国(福岡県)芦屋の出身。名を寿平、後に寿。字は亀年。別号に竹叟、筌岡など。早くから京都に出て、画を四条派の松村景文に学び、ついで大坂に出て漢学の篠崎小竹の門下となり、再び京都に戻ると小田海僊に南画を学んだ。
幕末の南画界で日根対山と並び称され、筑前藩、津藩から禄米を受ける。維新後は京都を代表する南画家として活躍、明治13年京都府画学校設立に際して出仕し、教職についた。門人には吉嗣拝山、上田鉄耕、衣笠豪谷らがおり、福岡南画壇の生みの親と称される人物。
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