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「竹石図」

木村蒹葭堂

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作家名
木村蒹葭堂
作品名
「竹石図」
寸 法
本紙:126.4×27.1cm
総丈:201.3×45.2cm
手 法
紙本・墨
制作年
江戸時代中期
備 考
・画面左サイン:「巽齋戯筆」、印:「孔恭之印」、「世?父」
・画面右下印:「蒹葭堂」
・寺西易堂鑑識箱
・寺西易堂(1824-1916年):漢学者、名は鼎。名古屋の人。
 村瀬太乙・林鶴梁・藤森行庵等に学ぶ。
・『木村蒹葭堂 なにわ知の巨人』(思文閣出版/2003年/図版No.78) に類似作品有り
解 説
 画面下辺に奇岩を配し、その傍らに竹を描いた竹石図である。このような墨竹図は、蒹葭堂が好んで描いた画題の一つで、本作は、画面右方から伸びる竹の葉が画面全体を覆うように風にたなびく様を描いている。手前に配された葉を濃墨で、奥の葉を淡墨で描くことで、画面の奥行きを表現している。

 木村蒹葭堂(1736-1802)は、江戸後期の文人、本草家。大坂の酒造家の家に生れる。名は孔恭、字は世肅、号は巽斎。蒹葭堂と称す。酒造業を営むかたわら、本草学を津島桂庵、小野蘭山に、詩文を片山北海に、画を僧鶴亭、池大雅に学ぶ。
 本草学を最も好み、多くの珍石・奇石を初め遺物、発掘品、書籍、資料を収集して研究を深め、その博識が広く知られて温厚な性格と相俟って諸侯から庶民に至るまで交友が多く、文人や研究者の多くが孔恭を訪れた。晩年24年間の克明な日記を残しており、それによると地元大坂の人ばかりでなく、大田南畝、頼春水など諸方の名士のほとんどが来訪しており、当代の知識人のサロンの主宰者のような蒹葭堂の立場を伝えている。
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