「天祐宛消息」
沢庵宗彭
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- 作家名
- 沢庵宗彭
- 作品名
- 「天祐宛消息」
- 寸 法
- 本紙:38.0×87.8cm
総丈:128.2×96.9cm - 手 法
- 紙本・墨
- 制作年
- 正保元年(1645年)十一月十五日
- 備 考
- ・『沢庵和尚書簡集』(辻善之助著、岩波書店刊、1942年)掲載作品(p.301~305/ No.91)
・文末に圭窗宗潤紙上極
※圭窗宗潤(?~1908年)…大徳寺479世住持。退任後は品川・東海寺に隠居した。 - 解 説
- 本作は、正保元年(1644)に家光の許しを得て、一時郷里である但馬に戻っていた沢庵が京を離れる際に同行していた天祐紹杲(1536~1627)に宛てた手紙です。
同年10月に近江水口で天祐と別れた後、11月7日には東海寺に着いたこと、一別以後の状況が記されています。
沢庵宗彭(1573~1645)は、江戸前期の臨済宗の僧。但馬国出石の生まれで、天正14(1586)年14歳のときに郷里の出石宗鏡寺の塔頭勝福寺、後に上洛し、大徳寺塔頭である三玄院の春屋宗園(1529~1611)に師事しました。1609(慶長14)年36歳で、勅招により大徳寺第154世住持に出世したものの、わずか3日でと大徳寺を去り、戦禍に焼けた南宗寺や、荒廃した宗鏡寺を再興。1629(寛永6)年には紫衣法度をめぐり幕府に抗弁したことにより、出羽国上山に流罪となりましたが、1632(寛永9)年には赦免され江戸に入り、徳川家光(1604~1651)の深い帰依を受け、1638(寛永15)年には江戸品川に東海寺を創建しました。
