「うもじ宛歌入消息」
木下長嘯子
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- 作家名
- 木下長嘯子
- 作品名
- 「うもじ宛歌入消息」
- 寸 法
- 本紙:28.8×44.8㎝
総丈:106.0×54.1㎝ - 手 法
- 紙本・墨
- 備 考
- ・画面左下に「長」
・田山方南箱・田山方南極文
・二重箱
・『長嘯子全集』(吉田幸一編、古典文庫、1975年刊)掲載作品(1巻/No.1191、5巻/P.160・P.169、6巻/P.23に図版)
・うもじ・・・長嘯子全集によると、長嘯子の室於梅の略称か。
【翻字】
昨日御申こし候たんさくの事
かきてつかわしまいらせ候
やすき御事のよし
御申つかひ候へく候、此うたお
書まいらせ候也かしく
まゐきえてつゝみそあまる花薄
かれのゝ草のせはき
たもとに
ゟ
(結封)うもしまいる 長
【読み】
昨日お申し越し候短冊の事、書きて遣はしまいらせ候、
安きお事の由、お申し遣ひ候べく候、この歌、
お書きまいらせ候なり、かしく
まゐ消えて包みぞあまる花薄《はなすすき》
枯れ野の菊の狭き袂に
ゟ
(結封)うもじまいる 長
- 解 説
- 木下長嘯子(1569~1649)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、歌人。その作風は、歌壇の新境地を開いたものと評価され、松尾芭蕉にも影響を与えた。後年には、東山高台寺の隣へ隠棲し、和歌を詠んだ。伊達政宗など大名から藤原惺窩とその息子の冷泉為景といった文化人まで幅広い交流を持っていた。後水尾天皇が勅撰したと伝えられる、集外三十六歌仙にも名を連ねる。
