「三好一任斎為三宛消息」
千利休
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- 作家名
- 千利休
- 作品名
- 「三好一任斎為三宛消息」
- 寸 法
- 本紙:26.8×34.6 cm
総丈:118.0×46.0 cm - 手 法
- 紙・墨
- 制作年
- 天正12年(1584年)11月9日
- 備 考
- ・『利休の手紙』(小松茂美著/1985年)掲載作品 図版No.188
・古筆了仲極札
・三好一任斎為三……『宗及茶会記』に、一回、顔を見せている。三好政勝(1536-1631)といわれている。榊五郎政長の二男。摂津江波城主であったが、信長に追われて、阿波・讃岐に潜み、元亀元年(1570)信長に降り、摂津豊島郡内に所領を与えられた。後に、剃髪して為三と改めた。やがて、秀吉に仕え、後年は家康に属した。
【読み】
先度為御礼御尋由を濱申候
迷惑仕候其御礼労ゞ二
是非共口切を一服可申上候
同者上様大津へのるすにと
存候但又御番成申候哉恐惶かしく
十一 九日
休子
(封)一任斎 易
貴報
【口語訳】
先ごろは、御礼の口上でわざわざ御来宅いただきました様子、濱(利休の妻女か、娘
か)から聞きました。折から不在いたしまして、申し訳なく存じます。そのおわびと
御礼を兼ねて、ぜひとも口切の茶を一服差し上げたく存じます。もしもできること
なれば、上様(秀吉)が大津へ発足、その留守の時が好都合と存じます。ただし、
あなた様がその共奉の勤番に当たられたのでは、そうもなりませぬが、いかがでしょうか。
(天正十二年)十一月九日
休子 易
一任斎宛 貴報
― 小松茂美『利休の手紙』より抜粋 ― - 解 説
- 千利休は大永12年(1522年)、現在の堺市に生まれる。
天正19年(1591年)2月28日、秀吉によって賜死を命じられ自刀。70才の生涯を終えた。
人生七十
力囲希咄
吾這寶剣
祖仏共殺
提ル我得具足の一ッ太刀
今此時ぞ天に抛
千利休「辞世の偈」より