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「草蘆三顧」

横井金谷 (Yokoi Kinkoku)

  • 「草蘆三顧」
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作家名
横井金谷
作品名
「草蘆三顧」
寸 法
本紙:122.2×55.5cm
総丈:204.5×68.3cm
手 法
絹本・着色
制作年
1809年 秋
備 考
・画面左上に「己巳秋 金谷道人寫」・印「斧行者金谷」・遊印「大寶主人」
・画面左下に「雙龍叟」・印「釋飲光印」「慈雲」
解 説
横井金谷の手による草蘆三顧図。雪の中、画面手前に配された人物は、四条派風に表現され、画面奥に見える庵に向かう姿が描かれている。背景に配される山や岩石など湿潤な筆で力強く描かれている。
中国の三国時代に劉備が関羽、張飛を伴い諸葛亮の庵を3度も訪ね、諸葛孔明もこれに応えたという故事を描いたもので、諸葛亮が主君の劉禅に奉った上奏文である「出師表」の記載をもとにしたもの。
また、本作はその款記から文化6年(1809)年に制作されたことが確認出来る。

横井金谷(1761-1832)は、江戸後期の画家。栗太郡下笠村(草津市)の生まれ。はじめ浄土宗の僧で、のち修験者となった人物。名は妙憧、別号は蝙蝠道人、斧叟など。金谷上人、金谷老人とも呼ばれた。はじめ浄土宗の僧侶であったが、後に山伏となり諸国を放浪したという。中年になって名古屋住吉町に住して鈴木鳴門、丹羽嘉信ら文人画家と交わり、また張月樵に絵を学んだ。紀楳亭とともに「近江蕪村」と呼ばれるほど与謝蕪村に傾倒し、山水、人物を好んで画題とし俳画も描いた。また名古屋在住中に、瀬戸で金谷焼と称される陶器をつくった。
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