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「消息」

古田織部

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作家名
古田織部
作品名
「消息」
寸 法
本紙:27.6×43.7㎝
総丈:117.0×46.2㎝
手 法
紙本・墨
制作年
10月18日(17世紀)
備 考
■画面左下に花押
※覚甫…上田覚甫、織部の弟子。服部道巴とともに織部門下の文殊・普賢と並び称された人物。
※阿波殿…蜂須賀家政(1558~1638)ヵ。天正14年から慶長8年(1586~1608)阿波守に叙任する。

■読み
已上
昨日覚甫迄とんす《(緞子)》のき《(裂)》
れ之儀申入候処ニ則被懸
御意候畏存候然者はや
此方相尋申候間返進申候
懸御目候刻御礼可申入候
一昨夜者阿波殿御出之由候間
内々可参と存候へ者はやく
御立候て無是非候旁期貴
面之節候恐惶
  十月十八日  重然(花押)
解 説
古田織部(1544-1615)は、桃山時代から江戸時代前期の武将、茶人。美濃生まれ。称を左介、名を重然。初め美濃の守護大名、土岐氏に属していたが、織田信長の美濃平定の際、父である重定とともに信長に従い、信長の死後は豊臣秀吉に属した。天正13年(1585)、秀吉が関白に任ぜられると、織部も従五位下織部正となり、山城国西ヶ岡に3万5000石の領地を与えられた。慶長3年(1598)に秀吉が死ぬと家督を嗣子重広に譲って隠居し、伏見の自邸でもっぱら茶の湯三昧の生活に入った。慶長20年(1615)の大坂夏の陣では徳川側にあったが、突然の死罪を申し渡され切腹。その原因には諸説あるが、不明。
茶は千利休に学び、利休七哲の1人。利休の没後は天下の宗匠となり、江戸幕府、二代将軍である徳川秀忠の茶の湯指南を務めた。小堀遠州はじめとする多くの大名たちの指導にあたり、大名茶を確立する一方、やきものや茶室の創案にもすぐれた才能を発揮した。
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