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「森長以宛消息」

古田織部

  • 「森長以宛消息」
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作家名
古田織部
作品名
「森長以宛消息」
寸 法
本紙:7.3×48.2cm
総丈:100.3×51.4cm
手 法
紙本・墨
制作年
3月9日付
備 考
・聖一国師(1202‐1280)…円爾(えんに)弁円 …鎌倉時代の禅僧。
・霊石如芝(りょうせきじょし)(1245または1246‐没年不詳)…南宋の僧。
・森長以…人物不詳。

【読み】
貴札并霊芝之
墨跡拝見仕候
聖一国師真
筆之由此方ニも
御入候まゝ見合申候
賛事無之候
□《(併カ)》印無之候間銀五六拾ならハ可

有御取候かんにん物
にて御入候其以後
御ゆかしさ相積候
恐惶かしく
     古織部
 三 九日 重然(花押)
森長以さま
    廻答

【口語訳】
お手紙と霊石如芝の墨蹟を拝見しました。聖一国師(円爾弁円)は真蹟とのことですが、私も持っていますから、要りません。賛はありません。印はありませんので、銀子五、六十枚なら手に入れられたらよいでしょう。真物です。その後ご無沙汰しておりますが、お目にかかりたく思います。
解 説
古田織部(1544-1615)は、桃山時代から江戸時代前期の武将、茶人。美濃生まれ。称を左介、名を重然。初め美濃の守護大名、土岐氏に属していたが、織田信長の美濃平定の際、父である重定とともに信長に従い、信長の死後は豊臣秀吉に属した。天正13年(1585)、秀吉が関白に任ぜられると、織部も従五位下織部正となり、山城国西ヶ岡に3万5000石の領地を与えられた。慶長3年(1598)に秀吉が死ぬと家督を嗣子重広に譲って隠居し、伏見の自邸でもっぱら茶の湯三昧の生活に入った。慶長20年(1615)の大坂夏の陣では徳川側にあったが、突然の死罪を申し渡され切腹。その原因には諸説あるが、不明。
茶は千利休に学び、利休七哲の1人。利休の没後は天下の宗匠となり、江戸幕府、二代将軍である徳川秀忠の茶の湯指南を務めた。小堀遠州はじめとする多くの大名たちの指導にあたり、大名茶を確立する一方、やきものや茶室の創案にもすぐれた才能を発揮した。
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