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「坊城辨宛消息」

尊性法親王

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作家名
尊性法親王
作品名
「坊城辨宛消息」
寸 法
本紙:30.8×46.2㎝
総丈:113.1×58.4㎝
手 法
紙本・墨
制作年
十二月十六日 
備 考
■端裏書「坊城弁殿 尊性」
■『日本書蹟大鑑』第十六巻(講談社/小松茂美)No.37掲載作品。
■二重箱蓋裏に印「不二文庫」
■栄仲極札

【読み】
(端裏書)坊条辨殿 尊性

東寺之寺僧小折
帋共指上候例等勘
相添候条 勅許之様ニ
披露賴存候法橋
律師法限共所々永
宣旨にて罷承申候其段
能々吟味申候間其遍
御申入賴存候謹言
     十二月十六日

※『日本書蹟大鑑』(講談社/小松茂美)に記載あり。
解 説
尊性法親王が坊城辨宛に出した消息で、宛先の坊城弁は、江戸時代の公卿である坊城俊完(1609-1662)、もしくは息子である俊広(1626-1702)のこと。坊城俊完は、江戸時代公卿。堂上家である、坊城家の第11代当主。初名は頼豊、法名は常空。俊昌の子。仕えて正二位権大納言に至る人物。俊広はその実子で、従一位権大納言まで至った人物。
『日本書蹟大鑑』に集録される作品で、その解説によると尊性の晩年を思わせる筆跡から、坊城俊広宛ではないかと推測している。

尊性法親王(1602-1651)は、江戸時代前期の法親王。後陽成天皇の第五皇子で、母は典侍の日野輝子。五宮と称した。諱は毎敦。慶長12年(1607年)3月、大覚寺に入り、慶長18年(1613年)に親王宣下を受け、翌年12月には空性法親王を戒師として得度、名を尊性と改めた。

※坊城辨…江戸時代の公家、坊城俊完(1609-62)、俊広(1626-1702)父子ヵ。
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