「大原女」
画: 鍬形蕙斎(北尾政美)、賛: 嵐亭富屋
上の画像はクリックすると拡大してご覧いただけます。
下の画像はクリックすると上の枠に表示されます。
- 作家名
- 画: 鍬形蕙斎(北尾政美)、賛: 嵐亭富屋
- 作品名
- 「大原女」
- 寸 法
- 本紙:33.2×55.7㎝
総丈:121.1×68.3㎝ - 手 法
- 絹本・墨・淡彩
- 備 考
- ・画面左に「紹真筆」・印「紹真」
・画面右に賛「袖婦(ふ)るひ/ふるひ出(いづ)らん/花の寄(よせ)」・「嵐亭富屋」
- 解 説
- 本作は、鍬形蕙斎の描いた大原女。人物と牛は輪郭をとらないつけたての技法を用いて墨のみで描き、牛に担がれた梅花にのみ色彩が施される。
大原女とは、大原(現在の京都市左京区)から来て京の町に薪、柴、炭などを売り歩いた行商の女性のこと。京都の風物詩として著名で、中世の職人歌合において題材とされ、狂言や舞踏にも登場し、江戸時代には、多くの絵師が美人画の好画題として描いた。
軽妙な筆遣いで端的に描かれた本作は、略画を旨とした蕙斎らしい作品です。
鍬形蕙斎 (1764-1824)は、江戸時代中期の浮世絵師。姓は赤羽、俗称三二郎あるいは三治郎。杉皐と号し、狂歌名は麦蕎雄魯智、戯作名は気象天業など。13歳頃に浮世絵師である北尾重政に入門、北尾政美と号して狂歌本や黄表紙の挿絵などを多く描いた。
寛政6年(1794)には、津山藩(岡山県)松平家の御用絵師となり、画号を蕙斎、姓を鍬形、号を紹真と改めた。御用絵師になってからは狩野惟信に入門し、その画技を学ぶ。大和絵や琳派などといった伝統画法も広く習得し、軽妙で洒落の効いた略画や、江戸一目図と総称される鳥瞰図の手法を用いた真景図など独自の画風を展開した。