「梅花雀図」
長沢芦雪(長澤蘆雪)
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- 作家名
- 長沢芦雪(長澤蘆雪)
- 作品名
- 「梅花雀図」
- 寸 法
- 本紙:119.0×46.0㎝
総丈:208.9×58.4㎝ - 手 法
- 紙本・墨・淡彩
- 制作年
- 寛政6~9(1794~97)年頃
- 備 考
- 画面左下に「芦雪写」・印「長澤」・「魚」
- 解 説
- 梅は、岩肌から垂直に勢いよく描かれている。
左側の幹は太く、画面中央の枝は細く描かれており、対比をなしている。
雀の毛は細かく丁寧に描かれており、芦雪のほかの作品の雀と同様の特徴を備えた可愛らしい雀である。一部、退色しているようだが、梅花の葯の部分も淡彩が使われていた後がうかがえる。
朱文蒲鉾形連印は寛政六年(1794年)に描かれた「蓬莱山図」や「牡丹孔雀図」に捺されており、本作は1794年以降の作と推定される。
長沢 芦雪(宝暦4年/1754年 - 寛政11年/1799年)
丹波国篠山藩藩士・上杉彦右衛門の子として育つ。
芦雪25歳の時、応挙の家で『東山名所図屏風』を制作。
既に、応挙門下にあったことがわかる。
1786年から1787年(天明6年から7年)、南紀に滞在した折には多くの障壁画を描き。
当地の寺には、現在も多くの障壁画が残っている。
1799年(寛政11年)、大阪で客死。
自由奔放で、傲慢な性格であったと言われ、応挙に破門された、毒殺された、など様々な逸話があるが、芦雪の足跡を残す資料は少なく、謎の多い人物である。
奇想の絵師に数えられる。