「墨竹図」
鶴亭(隺亭)
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- 作家名
- 鶴亭(隺亭)
- 作品名
- 「墨竹図」
- 寸 法
- 本紙:121.4×27.1㎝
総丈:186.0×39.2㎝ - 手 法
- 紙本・墨
- 制作年
- 明和元年~天明5年(1764~1785)
- 備 考
- ・画面右上に「隺亭」・印「五字菴」「隺亭図書」
・画面下に遊印「枕杲瞑翠竹」 - 解 説
- 画面中央にに奇岩を配し、その傍らに竹を描いた竹石図である。本作は、画面下部から伸びる竹の葉が中央の岩の後ろ側を通り、上へと伸び、流れるような早い筆で竹の葉が風にたなびく様を描いている。手前に配された葉を濃墨で、奥の葉を淡墨で描くことで、画面の奥行きを表現している。
鶴亭は、江戸時代中期の黄檗僧である海眼浄光(1722-1786)のこと。道号は玄峰、恵達、のち海眼。法諱は淨要、淨光、淨博。画号は鶴亭が有名だが、ほかに如是道人、如是主人、米寿翁、白羊山人、南窓翁、墨翁、五字庵などがある。
長崎の聖福寺四代目岳宗の法嗣。初め同寺の僧。25歳の時に師が没すると僧籍を離れ、沈南蘋の直弟子である熊斐の門下となり、彩色写生風の花鳥画を学び、独特の画風を確立。その後、黄檗僧に復帰し、萬福寺塔頭の輪流十三院のひとつである紫雲院第6代住持となり、紫雲院で15年過ごす。聖福寺の住持を請われたがこれを固辞。大坂に向い、ついで江戸に出る。幼時より絵を好み、花鳥画、蘭、竹の水墨画を得意とした。
また木村蒹葭堂や、柳沢淇園、池大雅、黄檗僧の大鵬正鯤、聞中浄復などと親しく交友し、京坂地方に沈南蘋の画風を広め、江戸後期の画壇に写実主義の風潮がひろまる契機となった人物である。