木下逸雲(1800-1866)は、江戸時代後期の長崎の南画家。鉄翁祖門・三浦梧門と共に長崎三大家と称される人物。幼名は弥四郎、名は諱を相宰、通称を志賀之介。逸雲のほか、養竹山人、物々子、如螺山人などと号した。
長崎八幡町、木下勝茂の3男に生まれ、兄の従賢を継ぎ乙名となり、のち家督を従賢の子に譲り、自身は医師を生業とし、医門名を得生堂と称した。画は初め唐絵目利の石崎融思に、ついで来舶清人の江稼圃に入門し南画を学ぶ。長崎円山花月楼清譚会の世話役を務め、日中文化交流を促したことでも知られる。

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木下逸雲

「墨蘭図画賛」

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