伊達吉村
伊達吉村(1680−1752)は、江戸時代前期の大名。初名は村房。通称は藤次郎。号は獅山、隣松軒など。陸奥国宮床領(現在の、宮城県)領主伊達宗房の長男。伊達綱村の養子となり、元禄16年陸奥仙台藩主伊達家5代となる。財政の再建、殖産興業、学問所の設置などを実行し、中興の祖といわれる。
吉村は和歌・書画など芸術面にも優れた才能を示し、絵は大和絵に習った繊細な画風が特徴で、自画像を手掛けるほどの画力をもっていた。
伊達吉村(1680−1752)は、江戸時代前期の大名。初名は村房。通称は藤次郎。号は獅山、隣松軒など。陸奥国宮床領(現在の、宮城県)領主伊達宗房の長男。伊達綱村の養子となり、元禄16年陸奥仙台藩主伊達家5代となる。財政の再建、殖産興業、学問所の設置などを実行し、中興の祖といわれる。
吉村は和歌・書画など芸術面にも優れた才能を示し、絵は大和絵に習った繊細な画風が特徴で、自画像を手掛けるほどの画力をもっていた。