副島種臣
副島種臣(1828-1905)は、幕末から明治時代の武士、政治家。佐賀藩士。幼名竜種、通称二郎。号は蒼海また一々学人。爵位は正二位勲一等伯爵。国学者である枝吉種彰の子として生まれ、副島家の養子となる。兄の神陽も学者となり、弘道館で大隈重信、大木喬任、江藤新平、島義勇らを教えた。明治維新後、新政府の参与となって「政体書」の起草に当たり、その後内務大臣(第4代)、枢密院副議長(第2代)、外務卿(第3代)を歴任した。漢詩人、書家としても知られている。
副島種臣(1828-1905)は、幕末から明治時代の武士、政治家。佐賀藩士。幼名竜種、通称二郎。号は蒼海また一々学人。爵位は正二位勲一等伯爵。国学者である枝吉種彰の子として生まれ、副島家の養子となる。兄の神陽も学者となり、弘道館で大隈重信、大木喬任、江藤新平、島義勇らを教えた。明治維新後、新政府の参与となって「政体書」の起草に当たり、その後内務大臣(第4代)、枢密院副議長(第2代)、外務卿(第3代)を歴任した。漢詩人、書家としても知られている。