玉室宗珀
玉室宗珀(1572-1641)は、京都の人、瞳眠子と号した人物。
春屋宗園の法を嗣ぎ、慶長12年(1607)に大徳寺で出世し、147世となった。徳川家、前田家などの帰依をうけ、慶長13年(1608)には大徳寺山内に前田利家の夫人である、まつのために芳春院を開いた。また、後陽成天皇からの帰依が厚く、元和6年(1620)には後水尾天皇より直指心源禅師の号を特賜される。寛永6年(1629)の紫衣事件に関わり、一時陸奥赤舘(現在の福島県)に流された。
玉室宗珀(1572-1641)は、京都の人、瞳眠子と号した人物。
春屋宗園の法を嗣ぎ、慶長12年(1607)に大徳寺で出世し、147世となった。徳川家、前田家などの帰依をうけ、慶長13年(1608)には大徳寺山内に前田利家の夫人である、まつのために芳春院を開いた。また、後陽成天皇からの帰依が厚く、元和6年(1620)には後水尾天皇より直指心源禅師の号を特賜される。寛永6年(1629)の紫衣事件に関わり、一時陸奥赤舘(現在の福島県)に流された。