「消息(菰堂・古貢・季由宛)」
与謝蕪村
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- 作家名
- 与謝蕪村
- 作品名
- 「消息(菰堂・古貢・季由宛)」
- 寸 法
- 本紙:15.2×61.0 cm
総丈:105.4×63.0 cm - 手 法
- 紙・墨
- 制作年
- 正月廿四日
- 備 考
- ・菰堂…丹波篠山の俳人。
・古貢(古好)…丹波篠山の俳人。
・季由…丹波篠山の俳人、菱田平右衛門。後、改号して暮蓼。
・江森月居…江戸時代後期の俳人。与謝蕪村の門人となる。蕪村からは「月居、夜半亭(=蕪村)門人、俳諧の好士なり」と評された。 - 解 説
- 【読み】
各位御壮健奉賀候、
しかれハ、すり物之
義、いさゐ相心得申候、
画何成ともおもひ付候て、
橘仙堂へ申付、出来
次第、早〻相下可申候、
一、方金一地御恵投
辱致受納候、外ニ月居(江森月居)へ
御□料等、丁寧之至、
早速相達可申候、まことニ
御深志之至、月居も
よろこひ可申候と、於
愚老大慶ニ候、
一、菰堂甚よろしき
文字ニ而めてたく存候、
季由子之御名ハ、今日
工夫いたし候て、相更
可申候、もちろん御心ニ
不叶候ハヽ、又〻御あらため
可被成候、飛脚待セ置候てハ
よき名おもひ出し
かたく候、寛〻と
案し而、あとより可申
進候、
一、そこよりすりもの等
集り有之候へとも、いつれも
おもしろからぬゆへ、
此たひハ遣不申候、あつめ置
候て、後便ニ相下可申候、
何ニもせよ、貴境
之すり物、早〻出し
申度候、以上
正月廿四日
蕪村
菰堂様
古貢様
季由様
【訳】
各位のご健勝をお喜び申し上げます。
さて、摺物の件につきましては、私なりに心得ております。
どのような絵にするか思いつき次第、橘仙堂に申し付け、出来しだい、すぐにお届けいたします。
まず、金一両をお恵みくださいましたこと、ありがたく拝受いたしました。また江森月居殿への御手当てまで、まことに丁寧なお心遣いで、すぐに伝えておきます。深いご厚情に感謝申し上げます。月居もきっと喜ぶことでしょう。私にとっても大慶でございます。
それから、菰堂の文字はまことに見事で、大変ありがたく思います。「季由子」という御名は、本日工夫いたしましたので、改めてお直し申し上げます。もしお気に召さなければ、またお改めいただければと存じます。飛脚を待たせていてはよい名が思い浮かびにくいので、ひとまず「寛〻」と案じ、あとよりお伝え申し上げます。
こちらでも摺物などいくつか集まりはしたものの、どれもあまり面白くないので、今回はお送りしませんでした。集めておいて、後便にてお送りいたします。
いずれにせよ、貴殿方の摺物を、できるだけ早く世に出したいと存じます。
以上。
正月二十四日
蕪村
菰堂様
古貢様
季由様
与謝蕪村
享保元年(1716年)摂津国毛馬村(現、大阪市都島区)に生まれる。
20才で江戸に下り、早野巴人に弟子入り、俳諧を学ぶ。
30才後半から「朝滄・四明」の号で画作を始める。
42才で京に戻り、その後、俳諧は「夜半亭」の号で、「謝春星・謝長庚」の号で多くの作品を手掛け、天明3年(1783年)12月25日没した。