「龍杖払子」

白隠慧鶴

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作家名
白隠慧鶴
作品名
「龍杖払子」
寸 法
本紙:128.3×39.2 cm
総丈:193.2×41.9 cm
手 法
紙・墨
制作年
宝暦8年10月(1758年)
備 考
・画面右上「顧鑑咦」
・画面左下「白隠」「慧鶴」
【読み】寶暦戊寅小春佳辰、天祥堂頭珪蓬湛
    和尚、破予両重關、      
    法謂隻手与音声也。故書以證據。
    掛重賞侍勇夫者也。
    沙羅樹下白隠老衲
【訓読み】寶暦戊寅小春の佳辰、天祥堂頭珪
     蓬湛和尚、予が両重の関、
     隻手と音聲とを破す。故に書して
     以て証拠す。
     重賞を掛けて勇夫を待つ。
・宗鶴極
・天祥堂頭珪蓬湛和尚=妙心寺山内天祥院の
 第六世圭蓬慧湛。
解 説
これは、いわゆる印可状である。悟りを証明したものである。しかし、ここに書かれている文言を注意深く読めば、
最終的な「悟り」を証明し担保したというものではないことがわかる。白隠禅における公案の第一歩である「初関」を透ったという証明である。白隠の当時は、「両手をたたけば音がするが、では片手の音はどうか。それを聞いて来い」という問題があり、これを透れば、次に「では、その音を止めてみよ」という二つの問題があった。これを「両重の公案」という。従来、「隻手与音声」の部分は「隻手之音声」と読まれて来たのであるが、これは大きな誤りである。
初関を透過できても、それは最終ではなく始まりに過ぎない。だから「重賞を掛けて勇夫を待つ謂か」と書いてあるのである。りっぱな褒賞を与えることによって、さらに勇猛に精進してほしいからである、という趣旨である。この語は、『三略』上略に「香餌の下、必ず懸魚有り、重賞の下、必ず勇夫有り」とあるのにもとづく。
したがって、この杖払図は、いわば白隠禅のメンバーズ・カードともいうべきもので、この杖払図を授けられた者たちを、白隠は「杖払仲間」と呼ぶ。

白隠慧鶴(1685~1768)は、静岡県(駿河国)の生まれ。
白隠はその功績から「駿河には、すぎたるものがふたつあり、冨士のお山に原の白隠」と称される江戸中期の臨済宗の僧です。諱は慧鶴、号は鵠林、闡提窟。諡は神機独妙禅師、正宗国師。15歳の時に駿河の松蔭寺で出家。その後、諸国を行脚した後、32歳で松蔭寺に戻り住職となり、42歳で悟りを開きました。
白隠の会下には多くの修行僧が集まり、東嶺円慈、遂翁元盧、峨山慈棹、葦津慧隆、斯経慧梁、提洲禅恕らの多くの門下を世にだしました。また白隠は、それまでの公案郡を整理し、体系化したことにより、日本臨済禅中興の祖と称されています。

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