「以傳老宛消息」
沢庵宗彭
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- 作家名
- 沢庵宗彭
- 作品名
- 「以傳老宛消息」
- 寸 法
- 本紙:19.5×28.5㎝
総丈:95.0×30.7㎝ - 手 法
- 紙本・墨
- 備 考
- ・箱蓋裏面「沢庵牡丹手紙」・印「充方」
【読み】
上辺にてハ見不申候牡丹
一入珍存候草牡丹木
芍薬なとゝ申事の候間
かやうにも可有之候将又
少知客事承候如御存愚也
秘蔵之若僧にて候間かる〳〵
しくそなたへ進候事ハ
不罷成候使に給候やうなる
用にもたゝぬ若僧ならは安間
之事にて候天気之時分
御懇書待申候期面話候かしく
(返し書き)
「連雨済々野寺之寂々
令察候城中者
忙々得失是非難分候」
(端裏上書き)
「ゟ
(捻封墨引)以伝老 宗彭
回□」 - 解 説
- 沢庵宗彭(1573~1645)は、江戸前期の臨済宗の僧。但馬国出石の生まれで、天正14(1586)年14歳のときに郷里の出石宗鏡寺の塔頭勝福寺、後に上洛し、大徳寺塔頭である三玄院の春屋宗園(1529~1611)に師事しました。
1609(慶長14)年36歳で、勅招により大徳寺第154世住持に出世したものの、わずか3日でと大徳寺を去り、戦禍に焼けた南宗寺や、荒廃した宗鏡寺を再興。1629(寛永6)年には紫衣法度をめぐり幕府に抗弁したことにより、出羽国上山に流罪となりましたが、1632(寛永9)年には赦免され江戸に入り、徳川家光(1604~1651)の深い帰依を受け、1638(寛永15)年には江戸品川に東海寺を創建しました。