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「詩書」

祇園南海

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作家名
祇園南海
作品名
「詩書」
寸 法
本紙:27.2×56.2㎝
手 法
紙本・墨
備 考
・画面右上に関防印「整暇」
・画面左に「祇元瑜」・印「阮瑜之印」「湘雲主人」
・【読み】
山高し 梅の色 霧を含む / 渓遶り 水の声 江に入る /
竹を隔て 人家両ゝ(ふたつ) / 巌宿りて 漁艇雙(ふたつ)
解 説
祇園南海(1676~1751)江戸時代中期の儒学者、漢詩人、文人画家。日本文人画の先駆者としても知られ、服部南郭、彭城百川とともに日本文人画の祖とされる人物。
紀州藩の藩医祇園順庵の長子として江戸に生まれる。名は瑜、字は伯玉。南海は号。湘雲、信天翁などの別号がある。本姓が源であることから、中国風に修して源瑜、阮瑜と称した。
元禄2年(1689)木下順庵に入門、元禄10年和歌山藩の儒官となり、和歌山に赴くが、元禄13年不行跡のため城下を追放。宝永7年(1710)許され、新井白石の推挙で、朝鮮使節の接待役に列す。同三年藩校湊講館が創設され、その長となる。
南海は書画にもその才能を発揮し、当時はまだ文人画の学習期にあり、中国渡来の画譜である『八種画譜』や『芥子園画伝』などの版本を通じて元・明文人画の知識や技法を習得し、日本の文人画を開拓した。柳沢淇園やのちに日本文人画を大成する池大雅も南海の指導を受けるなど、後世に与えた影響は大きい。
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