ギャラリー創 作品紹介 「消息」(マクリ)

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作家名
古田織部
作品名
「消息」(マクリ)
寸 法
本紙:28.5×39.5cm
手 法
紙本・墨
備 考
・宛先端裏に記載(判読不明)

【読み】
    返〻御機遣察申候
    不及御報
御女房衆御□よくも無之由
十日御すき必御のへ可被成候以上
承候さて〳〵無御心元義候
以参御見廻可申候へ共客来候而
先申入候明後日十日之御すき
御のへなさるへし御本復候て
御心閑祗候可申候〳〵旁
明日御見廻可申候〳〵恐惶
  十一 八日  重然(花押)
(端裏上書きあり)

【口語訳】
御女房衆は御□はよくないとのこと、承知しました。
さて心配なことです。
参りましてお見舞をしたいのですけれど、来客がありまして手紙を書きました。
明後日のお茶会は延期をして下さい。恢復されてから、ゆっくり参ります。
明日はお見舞に参ります。なお、ご心配のこととお察しいたします。
お返事には及びません。十日のお茶事は必ず延期されるように。
解 説
古田織部の手による消息で、宛先は不明。先方の女房衆の体調が不良のため、明日お見舞いにむかうこと、明後日の茶会の延期を強く進める旨が記載されている。


古田織部(1544-1615)は、桃山時代から江戸時代前期の武将、茶人。美濃生まれ。称を左介、名を重然。初め美濃の守護大名、土岐氏に属していたが、織田信長の美濃平定の際、父である重定とともに信長に従い、信長の死後は豊臣秀吉に属した。天正13年(1585)、秀吉が関白に任ぜられると、織部も従五位下織部正となり、山城国西ヶ岡に3万5000石の領地を与えられた。慶長3年(1598)に秀吉が死ぬと家督を嗣子重広に譲って隠居し、伏見の自邸でもっぱら茶の湯三昧の生活に入った。慶長20年(1615)の大坂夏の陣では徳川側にあったが、突然の死罪を申し渡され切腹。その原因には諸説あるが、不明。
茶は千利休に学び、利休七哲の1人。利休の没後は天下の宗匠となり、江戸幕府、二代将軍である徳川秀忠の茶の湯指南を務めた。小堀遠州はじめとする多くの大名たちの指導にあたり、大名茶を確立する一方、やきものや茶室の創案にもすぐれた才能を発揮した。

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