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「箒に鶏図」

伊藤若冲 (Ito Jakuchu)

  • 「箒に鶏図」
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作家名
伊藤若冲
作品名
「箒に鶏図」
寸 法
本紙:98.3×29.6cm
総丈:179.0×40.1cm
手 法
紙・墨
備 考
・画面右上印「藤汝鈞印」、「若冲居士」
・山本梅涯箱
解 説
・伊藤若冲(1716-1800)は、江戸時代中期の京都で活躍した画家。若冲は、それまでの日本の絵画にない奇抜なモチーフ、独特な画面構成により、奇想の画家として、また江戸美術を代表する画家の一人としてよく知られています。名は汝釣、字は景和。斗米庵、米斗翁、心遠館、錦街居士などと号しました。京都錦小路の青物問屋「枡屋」の長男として生まれ、数え年で23才の時に父親の死去に伴い家業を継ぎます。その後、40才の時に弟、白歳(はくさい)に家督を譲り、絵画制作に没頭。江戸中期の京都においてその個性的な画風は異彩を放ち、大きな評判を呼びました。天明八(1788)年の京都大火で被災し、一時大坂に滞在したものの、晩年には京都市伏見区の深草にある黄檗寺院、石峰寺の門前に隠棲し、晩年を過ごしました。

・山本梅涯(1852-1928)は、明治から大正時代にかけて活躍した漢学者、自由民権運動家。高知県の生まれ。名は憲、字は永弼、幼名は繁太郎、梅崖・梅清処主人と号した。謚は文節夫子。先祖は、武田家の軍師である山本勘介。家は代々学者を輩出し、梅崖はその5代目に当たる人物。
自由民権を説き「大阪新報」、「岡山稚児新聞」などで活躍。明治18年には、大阪事件で檄文をかき投獄。出獄後は、大阪にひらいた梅清処塾で漢学教授に専心した。
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