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「墨竹図」

長沢芦雪

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作家名
長沢芦雪
作品名
「墨竹図」
寸 法
本紙:110.2×26.0㎝
総丈:192.5×28.4㎝
手 法
紙本・墨
備 考
・画面右下に「蘆雪」・印「長澤」・「魚」
解 説
一つの枝の中、一枚の葉の中で、墨の濃淡が表現されて、それが竹に印影を与え、輪郭を作っている。節の部分は逆三角形のように、重ねて筆が置かれ、そこでまた墨が滲み、柔らかい印象になる。こうした技法は芦雪特有の技法である。
本作は、落款から、寛政6年~9年頃の作と考えられるが、芦雪は寛政5年に息子を亡くし、それまでに二人の娘も亡くしている。竹の下に小さく描かれた3個の筍は、芦雪の子ども達を表しているのかもしれない。





長沢 芦雪(宝暦4年/1754年 - 寛政11年/1799年)は、丹波国篠山藩藩士・上杉彦右衛門の子として育つ。

芦雪25歳の時、応挙の家で『東山名所図屏風』を制作。既に、応挙門下にあったことがわかる。
1786年から1787年(天明6年から7年)、南紀に滞在した折には多くの障壁画を描き。当地の寺には、現在も多くの障壁画が残っている。
1799年(寛政11年)、大阪で客死。

自由奔放で、傲慢な性格であったと言われ、応挙に破門された、毒殺された、など様々な逸話があるが、芦雪の足跡を残す資料は少なく、謎の多い人物である。
奇想の絵師に数えられる。
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