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「柿本人麻呂画賛」

白隠慧鶴

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作家名
白隠慧鶴
作品名
「柿本人麻呂画賛」
寸 法
本紙:100.7×44.0㎝
総丈:189.8×56.2㎝
手 法
絹本・彩色
備 考
・画面右下に印章「石原」「□」
・画面左上に引首印「顧鑑咦」・画面右に印章「白隠」「白隠」「慧鶴」
・中島玄奘(松蔭寺)極箱・蓋表「白隠和尚筆 柿本人丸像画賛」・蓋裏「平成三年六月吉日鵠林玄奘」
・高嶋家伝来
・読み(左から)「歌道明神何化身/是非菩薩佛歟神/到今明石浦朝霧/有嶋有舟無其人/ほのぼのと明石の浦の朝ぎりに/しまがくれ行く/ 舟をしぞ思ふ」
解 説
本作は、石原安種の描いた柿本人麻呂図に白隠慧鶴が賛を附したものです。
柿本人麻呂は、万葉集の歌人で、三十六歌仙の一人。天武・持統・文武朝に仕え、たとされる人物。後世、山部赤人とともに歌聖と称されました。本作は沼津髙嶋家の旧蔵の作品で、箱書きには松蔭寺の住持である中島玄奘の極が附してあります。

筆者である石原安種は、江戸時代前中期の画家で、木挽町狩野家の二代である常信の門人とされる人物。近江(滋賀県)の石山寺、瀬田橋、唐崎の松、三上山などの名勝をえがいた事が確認出来る人物です。

白隠慧鶴(1685-1768)は、静岡県(駿河国)の生まれ。
白隠はその功績から「駿河には、すぎたるものがふたつあり、冨士のお山に原の白隠」と称される江戸中期の臨済宗の僧です。
諱は慧鶴、号は鵠林、闡提窟。諡は神機独妙禅師、正宗国師。15歳の時に駿河の松蔭寺で出家。その後、諸国を行脚した後、32歳で松蔭寺に戻り住職となり、42歳で悟りを開きました。白隠の会下には多くの修行僧が集まり、東嶺円慈、遂翁元盧、峨山慈棹、葦津慧隆、斯経慧梁、提洲禅恕らの多くの門下を世にだしました。
また白隠は、それまでの公案郡をを整理し、体系化したことにより、日本臨済禅中興の祖と称されています。
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